矢追純一の噂・評判

矢追純一に関わる噂や評判、印象データをまとめています。

矢追純一に対する評価・印象は、1位 賢い(62%)、2位 話題(23%)、3位 愛すべき(13%)であると考えられます。(参考データポイント:89)

矢追純一の噂の注目度ランキング1位は「出演」、2位は「性格」、3位は「不倫」で、朝日、読売等のメディアで記事とされています。

矢追純一の評判と印象

矢追純一の注目の噂

矢追純一の基本情報

矢追純一/やおいじゅんいち
1935年7月17日 満州国生まれ
テレビ番組プロデユューサー、デイレクター、ジャーナリスト
元日本テレビ放送網株式会社、制作部社員
ドラマのディレクターとして出発。バラエテイーや音楽番組などの演出を手がけ、当時の名物番組「11PM」のデイレクターになる。
初のUFO番組「空飛ぶ円盤がやってくる」(1968年5月6日)を放映。
以後、数々のUFOスペシャル番組を制作。
その淡々とした語り口と、ナマの現実感あふれるドキュメンタリータッチで多くの若者達を魅了した。
当時のフアンたちが大人になった今でも語り草になるほどの強烈な印象を残し、今なお、社会の中枢につく人々にいたるまで熱烈なフアンが数多い。
矢追は「現実の世界には、科学では解明できない事象や、常識では判断できない事柄が沢山ある。むしろそういう分野のほうが幅広い。にもかかわらず、ともすると、マスコミは常識的なことばかりを取り上げる傾向にある。それはジャーナリストとして不公平なのではないか?と言う思いから、あえてオカルトの分野を取り上げてきた」という。
UFOのほかにも、ユリ・ゲラーをはじめて日本に紹介し、一大センセーションを巻き起こしたのをはじめ、超常現象、ネス湖のネッシーやナスカの地上絵、古代遺跡、南米ジャングルの巨大なたて穴探検など、日本でのオカルト分野を開拓、紹介した先駆者としても知られる。
略歴
父の仕事(建設省)の関係で、旧満州国に生まれる。1944年、父が急病で他界。
翌1945年8月15日の終戦を満州で迎える。
その日を境に生活は一変、住んでいた父親設計の白亜の殿堂から放り出された。
現金は日本国が敗戦で消滅したため、紙切れと化し、母と妹二人との母子4人、他の日本人同様、路頭に迷うことに。
日本人はたちまち、中国人と進駐してきたソ連兵やアメリカ兵の三つどもえによる暴虐を受け、餓死する人や、子供を現地で失う人、眼の前で殺される人など、生きていくのが難しい毎日を送ることになった。
その中を生きぬいた矢追は「はじめて世界のナマの現実に触れ、ワクワクとした生きている実感を味わった。むしろそれを楽しんだ。」という。
1947年、最後の引き揚げ船で帰国。東京で病院に入院した母親のベッドの下に妹二人と住み、そこから、編入した小学校に通った。
満州国での体験から、金や財産、名誉、プライド、生命にいたるまでへの執着芯がなくなり、この頃から、“思ったことが何でもその通りになる”、という自分に目覚めたという。
以後の経緯については、近刊「ヤオイズム」と「矢追俊一は宇宙人だった?」の二著に詳しく記述されている。
その他「ナチスがUFOを造っていた」「カラスの死骸はなぜ見当たらないのか」「人類は地球人だけではかった」「MJ-12の秘密」「「地球人へのメッセージ」「矢追純一のUFO大全」「MIBメン・イン・ブラックの謀略」ほか著書多数。
現在まで
1996年、50才にして、日本テレビをきっぱりと退社。
フリーのテレビプロデユーサー、ディレクター、ジャーナリストとして、テレビ出演や執筆活動を続ける。   
2009年、宇宙科学博物館、コスモアイルの名誉館長に就任。
世界一ユルイ、小セミナー「宇宙塾」を主宰、今日に至る。
矢追純一公式ホームページ
http://spacian.net/
◆矢追純一メルマガ「エンカウンター」書き下ろし、ハードボイルドなサスペンスアクション小説連載中。
http://theory.ne.jp/yaoi_junichi
◆矢追純一投稿鑑定サイト「エンカウンター」 投稿不思議写真を鑑定。
https://www.encounter-web.com/
◆石川県羽咋市「コスモアイル」名誉館長 館長室には矢追純一の過去の資料全てを展示
http://www.hakui.ne.jp/ufo/
◆矢追純一フェイスブック
https://www.facebook.com/jyunichi.yaoi?fref

1935年生UFO研究に関する人物中央大学出身の人物日本のテレビプロデューサー日本の引揚者日本テレビの人物満州国出身の人物超常現象に関する人物長春出身の人物

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