久保田和靖 × 炎上 の噂って!?
jookey.jp/movie/de... | 久保田和靖(吉本興業)に炎上の噂について、噂の内容・久保田和靖と炎上との関連はどのようなものでしょう。 |
エディターのコメント
まず、久保田和靖についてのwikipediaのページを確認したところ、炎上に関する記載はありませんでした。
次に、久保田和靖と炎上の関係を各メディアの記事から調べましたが、これもやはり関連のある物が見つかりませんでした。
参考として、久保田和靖と「炎上」の関連度の低い記事・信憑性の低い記事もリストアップします。良かったらここもチェックしてみてください。
2016年9月26日 ... これまで、タレントの藤崎奈々子とお笑いコンビ・とろサーモンの久保田和靖が出演した第1弾(6月13日放送)、タレントの野呂佳代と ... そんな中、炎上男・村本は、本来暴露するのは1人だけでいいところを「(自分が挙げた3人は)全員嫌い。
嫌いな芸能人を暴露する企画が好評 - エンタメ - 朝日新聞デジタル& (朝日)
2016年11月20日 ... 松本人志が大会チェアマンを務める芸人大喜利王決定戦「IPPONグランプリ」. 出典永野、ロッチ中岡、ふかわりょうが初登場「IPPONグランプリ」 (お笑いナタリー) - Yahoo !ニュース. 探して追加|アップロード. お気に入り詳細を見る. 今回は『IPPONスカウト』を勝ち抜いたとろサーモンの久保田和靖や、ロッチの中岡創一や永野、ふかわりょうが初出場。またロバートの秋山竜次や麒麟の川島明、千原ジュニア、バカリズム、 ネプチューンの堀内健、オードリーの若林正恭も出場し、様々な大喜利を競い合った。
【大炎上】完全に場違い・・・【IPPONグランプリ】空気ぶち壊し&スベリ倒し ...https: (NAVERまとめ)
ここで当サイトの人工知能の分析した、久保田和靖と炎上の関連度・注目度を見てみましょう。
エディター
問題となった動画を見るに、批判というよりも「罵倒」「人格否定」というのが正しいだろう。
「自分目線の感情だけで審査しないでください」
「お前だよ、分かるやろ。1番右側のな、クソが」
「クソみたいなやつが審査してさ」
公衆の面前で審査員を口汚く罵しるという行為は、一般的に見てもとても許される行為ではないし、上下関係を重んずる芸能界においてはありえないといえる行為だろう。
だが、その視点についてはもはや語り尽くされている。
ので、ここでは一つ別の視点として、彼の「批判」の内容にフォーカスしようと思う。
まず、果たして上沼恵美子さんは自分目線の感情だけで審査したのであろうか?それは批判されるべきことなのか?という問い。
感情で審査を行ったか。これに関しては、本人以外に知りようが無い。
……と言ってしまっては元も子もないが、実際本人にも知りようが無い部分だろう。
では、彼女がどのような立場で判断したかを推理することにしよう。
立場に関しては、客観的に推測だ。
M-1グランプリとは吉本興業が主催する漫才のコンクールである。
このコンクールの目的としては、吉本興業のシェアが高い国内お笑い会を盛り上げる。という点と、吉本興業の若手タレントに泊・ブランドを付け、ブームを起こそうという狙いがあったと考えられる。
だが、運営側は
「吉本以外の芸人は優勝できない」
「弱小事務所の芸人は噛ませ犬」
という白けムードになってしまうことを恐れていた。
これは、お笑いに誇りを持っている審査員や参加者からも厳しい目にさらされるポイントだ。
結果、ただの「吉本興業の芸人を売り出すパッケージ」ではなく、公平性や多様な視点を持った、よりコンクール色の強いイベントに落ち着いている。(最近はよしもと以外の人が優勝していないが……)
上沼恵美子さんは、そういったM-1グランプリの流れの中で2007年、女性として初めて審査員に選ばれた。しかも彼女はよしもとに所属していない。いわば外様の審査員だ。
彼女に白羽の矢を立てて審査員を依頼する際、どういう形で依頼したか、それは火を見るより明らかだ。
「今の審査員は全員男。女性らしい、上沼さんならではの視点で審査をしてください」
「他の師匠たちとは違う審査をお願いします」
「よしもとに一切気を使わずに、いつもの上沼節でお願いします」
……であるとすれば、彼女が他の大御所と違う点数をつけることがあったとしても、それは求められてのことだろう。
個人的な感情で審査をしたとしても、それが求められていたからであって、批判されるものではない。
それに実際、上沼恵美子さんは恐ろしく頭の回転が速い人間だ。
「あー、これは○○があかんなー、純粋な実力はあっちの方が上やろな。他の師匠さんたちはこんな点つけるやろ。でも私と同じようなおばちゃん達は案外こんなんが好きやったりするかんなー……」
と、かなりバランスをとって、自分に求められている役割を果たす採点をしていたはずだ。
最後の部分は推測だが、それが外れていたとしても、彼女の行動はM-1グランプリに求められての結果であることに変わりはなく、客観的に見れば与えられた職責を全うしたと考えられる。
そのため、久保田和靖さんの批判は、
「M-1グランプリにとっては、批判として的はずれ」
と結論付けられる。
以上は「M-1グランプリにとって」という条件付きの話で、次は「一般的に見て」という話に移る。
一般的に見て、上沼恵美子さんの審査は正しかったのだろうか。
一般的に見て審査とは「優劣を決めるもの」である。
お笑いという、ある種の文学的な対象の優劣を決めるという行為は非常に難しい。
M-1グランプリのMは漫才のMであり、最低限「漫才」というフォーマットだけは固定されている。しかし、演者の行うそれは千差万別だ。
お笑いの中にはトリプルアクセルも無ければ、元となる楽譜があるわけでもない。
様々なフォーマットや理論で提供されるお笑いを解釈し、その価値を数値化する。
そして解釈すべき「笑い」という行動もまた難しい。
同じセリフを自分の好きな人が言えば笑うし、自分の嫌いな人が言えば顔をしかめる。
清潔感のない人が舞台に立っていたら、そもそもセリフが耳まで届かないということもある。
ここまでの前提から考えれば、お笑いを感情や好き嫌いで審査するということは、「正しい方法の一つ」と言えるだろう。
そして審査員が複数用意されている状況であれば、「正しい方法の一つ」で審査することは理にかなっている。
実際、データから考えれば、他の審査員たちの意見よりもむしろ上沼恵美子さんの好き嫌いの方が価値があるという見方もある。
https://news.yahoo.co.jp/byline/suzukiyuji/20181209-00107152/
視聴者の離脱傾向と審査結果を照らし合わせた、興味深いデータだ。
これを見る限り、批判にさらされていた上沼恵美子さんの審査が、テレビ的には最も正しい審査だったと言える。
また、
http://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h29/html/nc262510.html
総務省発表のメディア利用のデータを紐解いても、40代以上の女性がテレビ視聴の大きなウェイトを占めている事がわかる。
たとえ彼女の個人的な好き嫌いであったとしても、それは他の審査員には無い、笑わせるべき相手の好き嫌いに近い、尊重されるべきものだと考えられる。
以上のことから、上沼恵美子さんが仮に自分目線の感情で審査したとしても、それが批判されるという謂れは全く無いと結論付けられる。
最後に「久保田和靖さんが、なぜそのような批判を抱いたか」を考察しよう。
彼のお笑いのスタイルは、技術志向・努力志向。
これは間違いない。
まるでアスリートのようにお笑いの道を目指す彼にとって、お笑いとは「全く同じ技術であれば、ある人がやったら120点になり、別の人がやったら50点になる」ものではなく、「努力して得た技術は公正に評価される」ものだ。
それ故に人一倍の研究・努力をし、漫才・コントの技術は同世代の中では群を抜いた実力を持っている。
これは今回の炎上でいくら批判を受けようが間違いのない事実だ。
誰よりも技術と努力を追い求めているが故に、それ以外が評価される事への不満は常に抱いていた。
デビュー当時からずっと久保田和靖さんはある種のコンプレックスを抱いており、それを払拭するかのようにストイックに技術を追い求めた。
しかし、そのコンプレックスは解消されるどころか、実力をつければつけるほど肥大していく。
稚拙な芸で女性ウケするイケメン枠芸人を見ては「なんであんなヤツが人気になるんだ!実力もないくせに!」と。
「技術・実力のあるやつが評価されるべきだ!」と。
そんな彼が溜飲を下すのは常々、大物芸人が審査を行うコンテストだった。
それらコンテストでは彼が高い評価を得るだけではなく、彼が認めても良いと思える、高い技術を持った芸人が評価される。
コンテストでは、若い女性に人気のコンビが低い点を叩き出し、技巧派のコンビが優勝する。
それを見て「ほら、分かる人には分かるんだ」と納得していた。
自分の価値を裏付けるものは笑いの技術。
そして、いつも「技術にこそ価値がある」と安心させてくれるものが、大物芸人による審査。
それ故に、技術以外の部分を審査する上沼恵美子さんの存在は、彼の存在価値を揺るがすような驚異になったのだろう。
彼の言う「クソみたいな審査」とは、見た目や雰囲気や人気を考慮した審査。
彼の言う「正しい審査」とは、セリフ・間・トーンといった、純粋な技術。
彼にとって「正しい審査」が行われるべき、最後の聖地とも言えるM-1グランプリで「クソみたいな審査」が行われた。
それは、彼の価値を裏付けていたM-1グランプリが、彼の憎む価値観に染まっていくように見えたことだろう。
それ故、日々抱いていた不満が爆発し、あのような動画になったと考えられる。
彼が本当に不満を抱いていたのは「お笑いが人気や雰囲気で評価されること」であろう。
努力家の彼にとって、それは理不尽に他ならず、お笑い芸人として生きていれば日常的に接するその理不尽に、彼は常々怒りを抱いていた。
たまたまM-1コンテンストにおける、上沼恵美子さんの審査をきっかけにその怒りが世間に表出したのだと考えられる。
全く的はずれな批判として。
結論
今回の久保田和靖さんの批判は、
1. M-1グランプリ的にも、一般的にも的外れな主張である。
2. 純粋に技術だけが評価されないお笑い界への不満が表出したものと考えられる。
以上。
以下は個人的な蛇足である。
本旨と異なるので、ここでスクロールをやめていただいても良いが、できれば関係者に届いてくれると嬉しいので、思い当たる方はご一読の上、共感できたらシェアしていただきたい。
私は上沼恵美子さんの審査はM-1グランプリにとって必要なものであり、来年以降も彼女の弁舌を期待したいと思っている。
彼女も賢いので、彼女が間違っていないということは確信しているだろう。
そして、彼女の周りもまた彼女が正しいと、純粋に共感してくれるだろう。
すると、自然「上沼さん、来年もお願いします」というプレッシャーが各方面から行くと想像できる。
でも、マシンガントークで明るい印象の強い上沼恵美子さんとは言え、彼女も一人の人間である。
むしろ、どちらかと言えば繊細な心を持っている女性である。
「クソが!」と怒りを込めて言われたり、机を蹴られて恫喝されたり、据わった目で睨まれれば恐怖する。
あんな脅しが自分に向けられることなど、通常はありえない犯罪的なことだ。
その恫喝で覚えた恐怖は動物の持つ本能的な感情で、考えで上書きすることが難しい。
だから、彼女の周囲にいる方へのお願いとして
「上沼恵美子さんのM-1グランプリ司会者復活を願ったとしても、彼女が望んでいないなら、そのプレッシャーを掛けないでください」
「久保田和靖さんを許すようなプレッシャーを掛けないでください」
という2つを記す。
彼女は業界に対して大きな影響を持った人物だ。
それ故に様々な期待を掛けられるだろう。
だが、今回彼女の被った被害は、人間の心の深い所を傷つけるに十分なものだった。
それを許すのも許さないのも彼女の自由だし、忘れることも、考えないようにすることもまた、彼女の自由であってほしい。
だから、
「上沼恵美子さんのM-1グランプリ司会者復活を願ったとしても、彼女が望んでいないなら、そのプレッシャーを掛けないでください」
「久保田和靖さんを許すようなプレッシャーを掛けないでください」
以上、完全に個人的な想いではあるのだが、できれば関係者に届いてくれると嬉しいので、同意頂けたらシェアしていただきたい。