千坂恭二の噂・評判

千坂恭二に関わる噂や評判、印象データをまとめています。

千坂恭二に対する評価・印象は、1位 実力派(60%)、2位 話題(21%)、3位 賢い(14%)、4位 愛すべき(3%)であると考えられます。(参考データポイント:83)

千坂恭二の評判と印象

千坂恭二の最近の投稿

@Sugano_Akihiko 方便と思い始めていることは、実は、いないのではないかと思い始めていること。
ハンナ・アーレントのような中途半端なものが読まれるということは現代の反映ともいえる。現代は、極端を嫌うか避け、中途半端でしか生活がやつてゆけないからだ。しかし中途半端は、所詮は生の維持の処方箋でしかなく、生の問題の前には無力だろう。
@GewaKawashima @jyarinnkobot なぜ男は夢ばかり見る生物なのか。それは、男の原型が獲物を捕りに狩りに出、家にいない生物だからであり、狩りにでたならば、獲物が居そうな場所を常に予想しなければならないことによる。https://t.co/qBSVNEUqGy
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シャルル・ド・ゴールは、なぜ、いつも、ド・ゴールと表記し、ゴールではないのか。ド・メーストルやド・サドは、ドを表記せずメーストルとかサドとされている。それにド・ゴール主義者のことはゴーリストといい、ド・ゴーリストとはいわない。

千坂恭二のその他の投稿

@watanuki1989 シェルナーは第二次大戦期の軍人で、ロンメルやゲーリング、ユンガー等と共に、第一次大戦期のプール・ル・メリット勲章を持つ数少ない軍人の一人。
@saqrako 最近、野菜が少し高かった気がしていた。
@saqrako @toyamakoichi へんな戦い方のガイドブックのようなものを作れば面白いのでは。
@saqrako 去年の後半は雨が多く気候不順で秋らしい日が少なかったことが野菜の高値になったのかな(陰の声 → と、総破壊の思想を展開しているにも関わらず、野菜の価格の話とは。いや、これも日常の戦線維持においては必要なことなのだ)。
今の日本でマンション等の賃貸業がやってゆけるのは東京だけだろう。次いで京都あたりか。それは大学が多く、学生の流入や移動が多いからだ。しかも、賃貸の更新料なる借家法にもない変な慣習があるのも東京と京都だけだ。それ以外だと大阪や名古屋のような大都市でも賃貸業は苦しいだろう。
@saqrako @toyamakoichi 最初に読んだエレンブルクの作品は『パリ陥落』でつまらないと思ったけれど、『トラストDE』と『フリオ・フレニトの遍歴』を読んだ時、妙に良い意味でサブカル的なところもあり、面白く、変な奴だ… https://t.co/EH4DvGrNMp
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@maboo5000 @saqrako 塹壕戦のキーポイントは、最前線にいた父親によれば、やはり兵站(補給)であり、それも食糧の問題だったらしい。
テレビは滅多に見ないが、たまに見る機会があって思うことは、少し前までは、とにかく街歩き的な街案内のようなものが多かったが、最近は、犬猫の街歩きのような番組を経てペット物が増えている。
@TaigaQwe20 東京は、流入・移動する学生が毎年、約50万人ほどいるので、まだ「かなり苦しい」で済みますが、それ以外では、「かなり」どころではない状態ですね。
今では、流入・移動する学生が約50万人と中規模都市並みの東京以外では、僅かに京都を例外にマンション等の賃貸経営は難しいが、それに輪をかけているのが大手から中小の建築屋にある。遺産相続した土地に賃貸物件を建てれば良いというが、儲かるのは建築屋と銀行だけだ。
@TaigaQwe20 地価が高く、賃料が高くても、毎年、学生が中規模都市並みにの移動があるので、東京にはまだ借家人が存在し、苦しくても賃貸業が可能ですが、東京以外では賃料が安くても、学生の移動が比較にならないほど少なく、物件数に… https://t.co/RCJ2gYFBNg
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東京に首都大学東京というまことに珍奇な名称の大学があるが、大阪市立大と大阪府立大が統合された時、公立大学大阪のような阿保まるだしの名称になるのだろうか(笑)。大阪都にでもなれば大阪都立大にもなるだろうが、大阪都の可能性は少ない。それにしても東京も東京都立大学で良かったのでは。
@TaigaQwe20 1970年に東京へ行き、東横線の都立大前駅が最寄りの処に住んでいたことがありました。その都立大が、なぜ首都大学東京に変わったのか。責任者は当時の都知事の石原慎太郎ですが、作家のくせに名称センスの悪さに驚きました。
戦前は東京は「帝都」とされ、早大の校歌は「都の西北」と歌い、東京は首都とされ、首都大学東京なる大学もある。しかし法的には、東京は首都機能都市であり、首都的要素に充満しているが首都ではない。法的には794年の平安遷都の太政官例が生き… https://t.co/UxD5f9GHOT
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地方自治体は、都道府県からなっているが、昭和18年までは東京も京都や大阪と同じく府であり、三府といわれた。一説では、県と異なる府の意味は、首都(首府)の経験地&候補地らしいが、奈良も平城京の史的故事から奈良県ではなく奈良府への改称を申請したが不成立だった。
東京都の都を「天皇が居る都」の意味と誤解している人が少なくなく、右翼にもいるが、そうではなく単に地方自治体の単位にすぎない。もし「天皇の居る」処なら、その根拠は高御座の在る処となり、高御座は今も京都にある。ということは生身の天皇は、東京の行宮に居るが、天皇の居る処は京都になる。
ブランショの『来るべき書物』の中にヘッセ論があるが、以前、誰かが、ブランショが論じるとヘッセも難しい作家に見えるというようなことを書いていたが、かりにそうだとしてもヘッセに非礼だろう(笑)。ちなみに第二次大戦直後のドイツ文学は、ヘッセ、T・マン、ユンガーの「三頭時代」といわれた。
大抵の場合、1丁目がメインで、2丁目、3丁目と数字が増えていくと場末になっていくが、新宿は逆で、新宿3丁目が新宿駅のある処であり、新宿1丁目が場末になる。ちなみに30歳前後の私がにわか社長業をしていた頃の会社は、場末の新宿1丁目のボロビルにあった。
最寄りは地下鉄の新宿御苑駅だったが、西新宿に住んでいたので、いつも西新宿の高層ビル群沿いの道を進み、新宿駅を通り過ぎ、そのままゲイ・タウンとして知られた新宿2丁目のまさにそのど真ん中の道を歩き、新宿1丁目のボロビルの中にある会社に通勤していた。
新宿御苑の入り口近くに模索舎があり、いつもその近くの道を歩いていたが、この頃は模索舎には一度も立ち寄ったことがなかった。当時の記憶を辿れば、最後に模索舎を覗いたのは1973年頃だったと思う。その次に模索舎に足を運んだのは2013年頃だから40年ぶりか。
木曜日は、東京へ戻る前の尾崎君と会い、刊行予定の3著(ユンガー論、神武革命論、反アート論)の執筆スケジュールの話をやり、その後、記紀や天皇、北一輝の話からヘーゲル、マルクス、アルチュセール、さらにラクラウ、ムフ、ロールズ、メイヤスー、マルクス・ガブリエルその他について話す。
RT @coupdtats: ナンドに千坂さんが来られたのでハイデガーの「芸術作品の根源」について少し解説してもらいヒントを得た。 道具の道具存在??やっぱ分からんけど…
外山君の活動報告誌『人民の敵』40号が届く。37号から始まった長編の「全共闘以後」も第3章で、私がまだ大阪でアナキズム活動に入った10代の高校生の頃に連絡をとったことのある向井孝への言及があった。後に私も参加したアナキスト革命連合… https://t.co/sQcw92GGuk
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全共闘の運動は、いろんな意味で1970年代で終わり、1980年代以降は全共闘以後になるが、外山君は、全共闘以後の全共闘の残影や、文字通り全共闘以後の運動の消息を執拗に追い続け、その取材インタビューが『人民の敵』に掲載され続けているが、この文章はその外山史観的総括になるのだろう。
@saqrako @RENIB85122 新しい街宣車はこれだね。https://t.co/4utmBzkUSP
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@saqrako ここ最近は、まだ走っているのが不思議な気がするような状態だったね。新しい街宣車で至る所を走り、世の中を「ガタガタにする」という桜子のダダ的街宣を聞きたい。

千坂恭二の基本情報

千坂 恭二(ちさか きょうじ。1950年3月18日 - )は、日本の評論家、在野の思想家。

1950年生ファシズム大阪市出身の人物思想史家新左翼活動家日本の思想家日本の無政府主義者日本の評論家御意見番苦労人向こう見ず

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