ウィリアム・フェルトン・ラッセル(William Felton "Bill" Russell、1934年2月12日 - )は、アメリカ合衆国ルイジアナ州モンロー出身の元バスケットボール選手。身長208cm(206cmとも)、体重102kg。1950年代から60年代にかけてNBAで活躍した伝説的選手であり、ボストン・セルティックスを11回の優勝に導いたことで知られる。恵まれた身体能力と抜群のバスケセンスを武器にリバウンドやブロックショットで才能を発揮し、特にディフェンスの側面では競技に革新的な影響をもたらしたとされ、しばしば歴代最高のディフェンダー、延いては史上最も偉大なバスケットボール選手の一人にあげられる。
サンフランシスコ大学時代に全米大学トーナメント(NCAAトーナメント)を連覇、メルボルンオリンピックでは金メダルを獲得し、NBAファイナルは八連覇を含む11回の優勝と当時のアメリカバスケットボール界の主要タイトルを全て制覇しており、特にNBAファイナルは彼のNBAキャリア13年の間で優勝を逃したのはわずか2回のみで、古今あらゆるNBA選手の中で彼以上にチャンピオンリングを持っている者は存在しない。個人でもNBAオールスターゲーム出場12回、シーズンMVP5回、オールNBAチーム選出11回。ディフェンスに長けた選手だったが、当時は守備関連の賞が充実していなかったためオールディフェンシブチーム選出は1回のみ、またファイナルMVPも彼が引退する年に創設されたため受賞することはなかったが、2009年にはラッセルの功績を讃えてファイナルMVPは彼の名を冠した「ビル ・ラッセル・NBAファイナルMVP賞(Bill Russell NBA Finals Most Valuable Player Award)」と改名された。NBA25周年、35周年、50周年に発表されたオールタイムチーム全てに名を連ね、1975年にはバスケットボール殿堂入り、2007年にはFIBAバスケットボール殿堂入りを果たした。背番号『6』はボストン・セルティックスの永久欠番となっている。
現役最後の3年間は選手兼コーチとしてセルティックスを指揮し、現役引退後もシアトル・スーパーソニックス、サクラメント・キングスのヘッドコーチを歴任した。
ラッセルの功績の中で特筆すべき点として、11回の優勝に代表される選手としての功績だけでなく、当時リーグの内外で蔓延していた人種差別に毅然と立ち向かい、アフリカ系アメリカ人選手の地位を向上させた公民権運動家としての功績があげられる。ラッセルは黒人初のNBAスター選手であり、またアメリカ四大メジャースポーツ初の黒人ヘッドコーチだった。一方でラッセルは差別に過剰に反応するあまり地元メディアやファンも攻撃し、ボストンに多くの栄光をもたらしたにもかかわらず、市民や記者とは険悪な関係が長年続いた。
1934年生NBAのコーチ、ゼネラルマネージャーNBAの解説者アフリカ系アメリカ人のバスケットボール選手アメリカ合衆国のオリンピック金メダリストアメリカ合衆国のバスケットボール指導者アメリカ合衆国の男子バスケットボール選手アメリカ合衆国代表のバスケットボール選手サクラメント・キングスシアトル・スーパーソニックスバスケットボール殿堂ボストン・セルティックスボストン・セルティックスの選手ルイジアナ州の人物選手兼任監督活発御意見番
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